
![]() <写真1 JR京都駅> |
・・・ 三雲から水口へ 6.7km ・・・ 東海道写真集へ ★JR三雲→横田渡★ 2007年2月25日(日)JR宇治駅発6:01の京都行きに乗車。京都駅で一旦改札を出て切符を購入し、東海道本線上りの2番ホームで電車を待った。今年で10年目となる京都駅ビルやそれらを飾るイルミネーションも見慣れた感じとなったJR京都駅<写真1>である。休日の早朝であるが人は多い。しばらく待って東海道本線6:39発の快速に乗車し7:02草津駅に到着。さらに草津線に乗り換えてJR三雲駅に7:30到着した。 駅舎を出てすぐ歩き出した。国道1号線高架橋をくぐり国道に沿って右へ曲がり国道1号線と合流。野洲川の横田橋を渡った。前回JR手原駅の先、名神を越えたあたりから野洲川はずっと左側にあり、そこへ流れ込む天井川をくぐったりしてきたが野洲川そのものを見ることはなかった。野洲川は流量は多くはないが川幅の広い河川であった。 横田橋、そして横断歩道を渡ってさらに朝国横断歩道橋<写真2>を経て国道の右側に出た。7:42湖南市から甲賀市に入り泉西三叉路を右へと分け7:47横田渡に到着。ここには大きな常夜燈<写真3>があった。かつてはここから野洲川を渡っていたとのことである。東屋の隣のトイレを借りた。 |
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![]() <写真2 朝国横断歩道橋> |
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![]() <写真3 横田渡常夜燈> |
![]() <写真4 怪しい雲行き> |
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| ★横田渡→水口★ 横田渡を7:51出発し田んぼの中の一本道を歩いた。鈴鹿峠方面は下層と中層に厚い雲がかかっていた。怪しい雲行き<写真4>である。広い田園風景のなか左右に交差する鉄塔の送電線はあやとりの糸のようだった。8:21柏木小学校前を通過。正門のそばに二宮金次郎像があった。ザックを背負い、地図を持って歩けば似て無くもない。8:38五十鈴神社<写真15>到着。濃いピンクの梅が綺麗に咲いていた。 8:43五十鈴神社を出発。水口の城内を歩き、8:59近江鉄道水口石橋駅の踏切を渡った。時刻はちょうど9時で水口三叉路<写真6>前のからくり時計が動いた。先を急ごうかと思ったが朝が早いのでお腹が減っていた。駅前のカフェ・ポエム<写真7>に入り、モーニング420円を注文した。店内に貼ってある近江鉄道の時刻表を見ると、次は9:19発の米原行きが来るようである。店を出て黄色い車体の電車を見送ってから歩き出した。 からくり時計のところから東海道は三本に分かれる。真ん中の道を通った。道沿いには郵便局やアーケード<写真8>があった。左右両側の道には見たところアーケードはないので真ん中がメインルートなのだろう。 |
![]() <写真5 五十鈴神社> |
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![]() <写真6 水口三又路> |
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![]() <写真8 アーケード> |
![]() <写真7 カフェ・ポエム> |
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![]() <写真9 東の分岐> |
・・・ 水口から土山へ 10.5km 計17.2km・・・ ★水口→大野西★ 道沿いに薬局(おくむら)があったので立ち寄り、指先用絆創膏380円を購入した。その場で巻こうとしたがうまく巻けなかった。店の方に白いテープで補強してもらった。 やがて三又路は二本が合流し、9:37さらにもう一本も合流した。そこの分岐<写真9>には石碑があり、赤と青の道路標識も立っていた。 国道307号線を越えて旧東海道はうねりながら<写真10>続いていた。9:43山川橋を渡りもう一度国道307号線を横断し小高い丘の上を歩いた。野洲川の河岸段丘なのだろう。旧東海道は10:06車道と合流したが、すぐにまた旧道へ分岐<写真11>したが、それも束の間でまた車道と合流した。旧東海道は野洲川段丘の上をくねくねと続いたが、車道のほうは野洲川に沿って高低差もなく直線的に続いていた。 行く手の進行方向右側には野洲川を挟んで南鈴鹿の山々が見えた。帰宅後調べて見ると鈴鹿峠西側の那須ヶ原山(標高800m)など南鈴鹿の山々のようだった。10:28甲賀市土山の大野西交差点に到着し、国道1号線と合流。<写真12>それを横断した。 |
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![]() <写真10 うねる東海道> |
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![]() <写真11 旧道へ分岐> |
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![]() <写真12 国道と合流> |
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| ★大野西→土山★ 国道1号線を渡って国道北側の旧道を歩いた。「ゆっくり走ってネ!」<写真13>との看板があった。旧道でも、もちろん歩いている人より車の方が多い。看板は車向けのものである。10:46徳原交差点<写真14>を見下ろした。確かに野洲川の河岸段丘を歩いていることがわかった。 10:52国道1号線の土山町大野交差点を渡り国道南側の旧道へ入った。ここからの旧道の路面はぺージュ色に塗装されていた。道沿いには茶畑があり幹の皮が剥がれた老木もそのままにされていた11:10大野小学校前を通過。その先の松並木<写真15>は整備されていて旧街道の雰囲気を出していた。 11:37県道との交差点を通過。さらに歩くと左、江戸時代の東海道と右、明治時代の東海道の分岐に出た。ベージュ色の塗装は右へ続いていたので右の道へ向かった。11:55野洲川に架かる屋根付きの歌声橋<写真16>を渡った。この橋から右側を見下ろすと野洲川と田村川が合流するところが見えた。二つの川の流量はほぼ等しいようで見事な”Yの字”をつくっていた。 |
![]() <写真13 ゆっくり走ってネ!> |
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![]() <写真14 徳原交差点> |
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![]() <写真16 歌声橋> |
![]() <写真15 松並木> |
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![]() <写真17 旧東海道・土山宿へ> |
★土山宿にて★ 旧道は国道と合流した。右へ分かれる道があったが路面がベージュ色でないので直進し、12:08旧東海道・土山宿へ<写真17>分岐した。この分岐からもベージュ色の路面の道が続き、土山宿の町並み<写真18>が再現されていた。 12:25民芸茶屋うかい屋<写真19>に到着。少し早いが鈴鹿峠にさしかかる前に昼食とすることにした。ざるそば630円を注文したあと古い家屋を利用した店内の様々な展示を見て回った。テーブルの上に「御来客芳名簿・六十九」と「らくがき帳」があったので書き込みをした。 店主と話しをした。「東海道を経て富士山に登る」というと、「それならもう少し歩いて日本橋まで歩いてはどうか?」と言われた。「その時にならないとわからないが、富士山登山後、御殿場あたりに下山し、その日は帰宅するであろうが、残り100kmほどなので日本橋まで歩くことになるかも知れないと思ってはいる」と答えた。 12:58うかい屋を出発。さらに続く土山宿の町並みを見ながら歩き、13:18田村神社前<写真20>の国道1号線に出た。 |
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![]() <写真18 土山宿の町並み> |
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![]() <写真19 うかい屋にて> |
![]() <写真20 田村神社前> |
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| ・・・ 土山から坂下へ 9.7km 計26.9km・・・ ★土山→鈴鹿峠★ 神社に向かって国道を渡らず国道1号線を東(右)に向かい田村橋を渡った。車の切れ目で横断し、再び旧道へ入った。地図にはないが田村神社への橋が見えた。田村神社境内からつながっていたかも知れない。工場建物の間を抜け13:34国道と合流。鈴鹿スカイライン・湯ノ山温泉への分岐を通過した。やがて巨大な高架橋(第二名神高架橋)が見えてきて、13:54山中一里塚公園<写真21>に到着した。石碑やベンチが置かれていた。 ここから旧東海道へ入った。集落が点在するなか公園があり標語<写真22>が掛けてあった。「子供叱るな来た道だもの。年寄笑うな行く道だもの・・・こんな挨拶・・・皆しましょう」過去と未来を踏まえ今の行動を示している。いい標語である。 14:04国道1号線と合流し、14:20売りに出されているドライブイン前を通過した。国道1号線は鈴鹿峠<写真23>に向かってゆっくりと上っていた。地下道があった。この先、右に別れるので地下道を通ればよかったが、行き越してしまったので車の切れ目で国道を横断した。 |
![]() <写真21 山中一里塚公園> |
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![]() <写真22 標語> |
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![]() <写真24 県境の石碑> |
![]() <写真23 鈴鹿峠へ> |
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![]() <写真25 峠を下る> |
★鈴鹿峠にて★ 14:34鈴鹿トンネルに入る国道1号線と分岐し旧東海道に入った。少し上ると14:40鈴鹿トンネルの真上にあたる場所にトイレを備えた休憩所があり、数名のグループの方々がおられた。東海道を歩かれているのではなく登山をされていたようだ。案内図や石塔を見ながら少し休憩しまた歩き始めた。 茶畑の脇を歩くと14:46県境の石碑<写真24>があった。二日目にして京都三条大橋から滋賀県を経て三重県に入ったことを実感した。落ち葉で覆われた林の中、峠を下り<写真25>、14:55見晴らしのいいところに出た。柵を越えて景色を眺めると、三重(さんじゅう)になっている車道<写真26>がみえ、た。国道1号線は折れ曲がりながら上り車線と下り車線が別ルートとなり峠の難所を越えていた。 そこからは石畳の階段を下り広場に出て、15:01さらに国道1号線の下へ向かう急な階段<写真27>を降りた。階段がなくなると林の中の地道を下り、15:05片山神社<写真28>の前に出た。 |
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![]() <写真26 三重(さんじゅう)の車道> |
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![]() <写真27 階段を降りる> |
![]() <写真28 片山神社> |
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| ★鈴鹿峠→坂下★ 片山神社から小川沿いに林の中を下り15:10国道1号線と合流した。15:20滋賀県方面へUターンする車道進入路のところで旧東海道は国道と分岐した。旧東海道も広く、白いセンターラインがあった。一昔前まで国道1号線としての車道だったのだろうか。 15:30関町坂下の集落を過ぎた。いくつかの本陣跡の石碑があった。坂下の集落を過ぎ、林のあいだの道を歩いた。午後3時半を過ぎたばかりであるが、電灯<写真29>が灯っていた。鈴鹿馬子唄会館前を通過し、沓掛の集落<写真30>に入った。広かった道は狭くなったが、谷は広がり集落は旧道に沿って何重かに広がっていた。 16:11旧道は国道と合流し、鈴鹿川は右手から左手に変わった。左手に鈴鹿川を見ながら山間の国道<写真31>を歩いた。16:33国道と分岐し家屋が建ち並ぶ旧道へ入った。16:37この先行き止まりの看板<写真32>があった。確かにその先、川があり橋はなく行き止まりだった。戻って見ると立ち話をされていた二人の方から「行き止まりだろう」と言われた。鈴鹿川を渡り16:44再び旧道は国道と合流した。 |
![]() <写真29 電灯灯る> |
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![]() <写真30 沓掛の集落> |
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![]() <写真32 この先行き止まり> |
![]() <写真31 山間の国道> |
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![]() <写真33 関宿の町並み> |
・・・ 坂下から関へ 6.5km 合計33.4km 累計78.1km・・・ ★坂下→関★ 16:53新所町交差点から旧道に入った。いよいよ今回最後の宿場町・関宿である。この町は電線がなく昔の町並み<写真33>を再現されていた。沿道はお店だけでなく民家や町の施設なども古い町並みに合わせたものとされていた。 冬の夕暮れ時なので他に歩いている人は見かけなかったが、一人様々なお店や町並みを見ながら歩いた。次第に日は暮れてきて町には明かりが灯された。 17:21JR関駅への角で右に折れ、17:25JR関駅前<写真34>に到着した。関駅は無人駅なので切符は販売されていない。調べておいた関西線下りの列車時刻を確認した。間違いなく次の列車は17:49発であった。 時間が少しあるので駅前の御食事処「鈴鹿亭」で盛り合わせ寿司<写真35>1260円を食べた。店のご主人から町の感想を聞かれた。「いい町並みですね」と答えた。関西方面からバスで立ち寄られるがあまり町にお金は落ちていないと言われた。 無人の駅ホームに入り関駅17:49発の関西線に乗車した。やって来たのは一両編成のディーゼルカー<写真36>でほぼ満席あった。ひと駅の距離が長く、関から2駅目の柘植駅に着いたのは18:07だった。柘植駅で草津線18:13発の電車に乗り換えた。ガラガラ<写真37>であったが、座席には人が座ったあとがくっきりと残っていた。草津駅には19:02到着、19:08草津始発の新快速に乗り換え、京都駅で下車。さらに奈良線に乗り換え、JR宇治駅に20:06到着した。 JR関駅 ![]() |
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![]() <写真34 JR関駅前> |
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![]() <写真35 盛り合わせ寿司> |
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![]() <写真36 一両編成のディーゼルカー> |
![]() <写真37 ガラガラの草津線> |
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| 2007.2.25(日)の会計 | 金額 | |||
| JR宇治→JR京都 | 230円 | |||
| JR京都→JR三雲 | 650円 | |||
| カフェ・ポエム モーニング | 420円 | |||
| 薬おくむら 絆創膏 | 380円 | |||
| うかい屋 ざるそば | 630円 | |||
| JR関→JR宇治 | 1450円 | |||
| 計 | 3760円 | |||
| 累計 | 6635円 | |||
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2007年3月5日 記
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